「九条の会・流山」発足までの歩み


05年7月2日 第1回・仮称「流山九条の会」呼びかけ人会を開催

●会の名称を「九条の会・流山」(準備会)と決定。

●この会は、憲法九条を守るために市民が個人として参加する大衆組織とする。従って、政党や各種団体など組織に所属する人も、個人の立場で参加する。また、最高決議機関は、呼びかけ人会におくことを確認する。

●世話人10名を選出し、後日、世話人会で代表者無しの4名の事務局を決定。

●世話人会の開催においては、活性化と透明性をはかるために、会員の参加および発言を歓迎し、開かれた会議とする。

●呼びかけ人50名程度をもってこの会をたちあげた。

05年10月1日 第2回呼びかけ人会

●宣伝のための「呼びかけ文」第1号チラシを作成。市内の1児の若いお母さんに草案を依頼し、主婦の目線を反映した文章に留意した。

●組織内容を明確にした。即ち、「呼びかけ人」はこの運動目的を達成するための活動に参加する者とし、「賛同者」は積極的に活動に参加しないまでも、憲法九条を守ってゆくことに署名した人や、趣旨に同意した人とする。

●活動資金は、「カンパ」方式と決定。世話人13名体制となる。

05年12月16日 第3回呼びかけ人会

●運動をひろげる一環として、06年1月29日に小森陽一さんを迎えて講演   会を開催することを決める。以後、講演会へ向け準備・宣伝活動をおこなう。

●11月18日・市教育委員会へ講演会の後援を申請・受理される。

06年1月29日 小森陽一さんの講演会を南流山センターにて開催

●6時半開会し、挨拶経過報告後、各地お国言葉で日本国憲法を披露し講演を行う。会場満席の250名以上の参加者あり。

●この講演会のアンケートやチラシの呼びかけにより、呼びかけ人および賛同者になってよいという方が、52名あり。

06年3月26日 県内「九条の会」交流集会・千葉市内で開催

06年6月11日 全国「九条の会」交流集会・都内で開催、共に2名参加

●今後の活動の参考とするために「九条の会」共通の問題、ユニークな運動などを事前に提出したアンケートをもとに紹介し合う。

●「国民投票法案」が、九条改悪のための前段であり、取り組みの遅れを危惧され、九条を守る運動として位置づけた。

●「九条の会」が全国に5,000団体を越えたこと、「憲法九条世界会議」が2008年に東京で開催される予定であることが報告された。

06年4月 市内有力者へ「九条の会・流山」協力への呼びかけ

●呼びかけ人会に参加していない流山市議会議員全員に、参加呼びかけのアンケート・資料を送付。6月には市内有力者(前・元市長および三役、元県議、前・元市議など)へも同様の資料を郵送し働きかける。

●映画「日本の青空」2口(鑑賞券1枚千円×200枚)20万円協賛。

06年6月19日 運動を広げるため、毎月定例の署名活動を開始する

●この日を出発として毎月1回・夕方、主要駅など4箇所で署名活動とチラシ配布、ハンドマイクによる宣伝活動を定例化し実行する。幟旗30本作る。

●呼びかけ人100名、賛同者1000名を越える。

06年8月15日 市教育委員会より後援取り消しを示唆する連絡あり

●8月16日 連絡を受け、市教育委と面談。講演会のチラシに「政治的文言」が書かれており、教育委の後援を取り消すように市民から抗議があったことの説明を受ける。「九条の会・流山」としては、憲法は国民の諸権利を擁護するために、国家が守るべき規範であるのだから、憲法を守る運動は政治活動にあたらないことと主張し、後援を取り消さぬよう要望する。

●8月21日 事前説明も無く、市教育委より後援取り消しの連絡あり。

●8月23日 後援取り消しの再考を求める文書をもって、教育委と面談し取り消しにいたる経緯の説明を求める。取り消し決定以前に公共施設より無断でポスターを撤去したことは謝罪。この日、松戸記者クラブにおいて「流山市教育委員会、後援取り消しに対する声明」文を配布し記者会見を行なう。





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